フルバナ#8①
フルーツバスケットanother
略してフルバナの8話を見て、1巻を買いに本屋に行きました。
紙の本は大分処分して、今後はkindle本で買おうと思っていたので、フルバナは買っていなかったのです。
8話は花LaLaonlineで現在公開中なので、1巻には収録されていないのですけれど、何話か読み逃したものもあり、初めから読みたかったのです。
読みたいと思わせる8話だったのです。
8話24ページにて、はじめというキャラクターが、主人公の三苫彩葉(みとまさわ)に問いかけます。
「不躾な質問するけど
あんま仲良くない?
母親と」
彩葉は母親と仲が良くないのですけれど、そんなことを言ったら嫌われるのではないかと逡巡します。
はじめが自分も嫌いな肉親がいるから気を使わなくていいと話すと、彩葉はおずおずと言います。
「でも…やっぱりそういうことを…言うのは
産んで育ててくれてる人に対して
感謝こそすれ
恩知らずな
震える声で、絞り出すように言葉を紡いでいるのが聞こえるようです。
はじめはきっぱりと言います。
「それは呪いだ
…たとえば産み育てたなら
「家族」なら何を言っても何をしてもいいわけない
絶対ない
踏みにじられながら
家族に感謝して笑ってろなんてのはただの暴力で
ただの呪いだ」
この一連のやりとりが、私を本屋に走らせました。
フルーツバスケットでも「絆が呪い」や「親子の軋轢」などが物語が進むにつれて出てきましたが、中々それは語られないテーマであると感じます。
彩葉が口にしたように、口をついて出るほど周りから言われ続けてきたように、親に恩を感じろ、感謝しろと言う言葉は世の中に溢れかえっています。
けれど、いや、だから、はじめの言ったような言葉は中々受け入れられません。
特に彩葉のように、肉体的暴力を受けていない場合には。
たとえ産んで育てても、殴ったりしなくても、言葉で態度で、精神を、心を、人格を踏みにじることは、「家族だから」といってしていいことではありません。ないはずです。
それなのに何故か、それはまかり通るのです。
人に心があることも、それが見えたり手に取れたりするものでないことも、否定する人はまずいないでしょう。
見えなくて手に取れないものが「ある」と知っている。
それなのに何故か、心が踏みにじられたり壊されたりすることを、人は大したことではないとか、そんなことは起こっていないと言います。
親の心子知らずと言うのに
子の心親知らずという言葉がないくらい
子の心はまるで存在しないような扱い
「自分はこんなにしてあげたのに」
「愛しているのに伝わらない」
他人同士ならそれはエゴだと、通用しないとされるセリフも、何故か親子だと真っ当なセリフと扱われます。
それが「当たり前」
そんな「当たり前」を、はじめのセリフは「それは呪いだ」ときっぱりとはねつけます。
それは私にとって、宝石よりも貴重で希少で大切な言葉でした。
フルーツバスケットanother
https://www.hanayumeonline.com/magazine/magazine62.html
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